自分が数年前〜数か月前に言っていたことと今言っていることの矛盾や乖離を露呈するのがきつくて前のブログを閉じた。ほとんどの人は私の発言の矛盾に気がつくほど気を払っていないし、気がついたとしても人が時間を経て変わることは当たり前なので気にしないだろう。しかし自分としてはその不安定さや過去の自分の発言そのものの恥ずかしさにいたたまれない。

この前「偶然と想像」を観た。第1話「魔法(よりもっと不確か)」の「あの時は好きだった…でも今は好きじゃない…でも自分のものだと思っていた人が他の人といい感じになるとムカつくかも…やっぱ今も好きかも…」みたいなやりとりには全然興味が持てず「ふ〜〜〜〜ん」としか思えなかったけどカメラワークや役者の演技自体はおもしろかった。

3つの話の中だと第3話「もう一度」のあやと夏子のやりとりが一番好き。ラストのぐっとカメラを引いてあやが夏子に駆け寄っていく様子と軌跡を示してからまた2人にミディアムな距離までズームしてあやが何を伝えたかったのかを見せるのがよかった。「知っていると思い込んでいた人が実はまったく知らない人だった」というシチュエーションはよく考えるとホラーだけどここではおもしろさが勝っていてある種のかるさがあった。

その「かるさ」は第2話「扉は開けたままで」にも見られて、私が観た回では瀬川教授の淡々とした抑揚とそれゆえのおもしろさにあちこちで笑いが起きていた。

「ドライブ・マイ・カー」で監督自身の映画を撮る技法が主役の演出家を通して語られていた部分があったと思うんだけど、「偶然と想像」でその答え合わせをしている気分になった。