映画『THE GUILTY』。固定された舞台で人探しをするという構造は「search」と同じ。こういう映画ってストーリーで引っ張る必要があるから見た目より作るのが難しそう。

舞台は基本的に変わらないけど、照明の色やや撮り方(例えば着信を示す赤いランプをキャラクターの主観っぽくゆらゆら揺れて見えるように撮っているのがうまかった)が工夫されていておもしろい。

話のフックとしてある種のどんでん返しがあるんだけど、つくづくどんでん返しって観客が持っている偏見や思い込みを明らかにするよなーと感じた。ミステリやサスペンスでは人々が共通して持っている(と思われる)偏見・思い込みが使われることが多い。

例えば叙述トリックの使われているミステリで、女性のキャラを読者にはあたかも男性であるかのように誘導する際、「その人は大学教授で、その日は仕事帰りだったためスーツにネクタイを締めていた」のような文章が所々に挿入される。このトリックは、多くの人の中に「大学教授ならだいたいある程度年齢のいった男性だろう、ネクタイをつけているということは男性だろう」といった無意識のうちの思い込み(偏見)があるからこそ成立しているのだ。

この映画だと「服役していた男なら、子どもも殺すだろうし元妻も誘拐するだろう(元妻は完全な被害者だろう)」という、観客だけでなく主人公も共通して持っている思い込みがストーリーをおもしろくするために利用されている。

話が進む中で観客と主人公はその思い込みが間違っていたと思い知るのだが、そのときは「だまされた!」という爽快感を感じるとともに、自分の中にある偏見にハッと気づかされもする。